以前、欧米系の女性が書くエッセイが流行ったことがあった。最初はフランス人、次にニューヨーカー。地域性を出して、ミニマリズムやら、恋愛観やら、習い事やら、仕事への向き合い方やら。40代前半だった私は、共感したり、へえと感心したり。簡単な文章だけれど、新鮮な気づきのある読書だった。
ミニマリズムには結構ハマっていた時期もあった。けれど、その対極にあったニューヨーカーのエッセイの中に、「好きな本に囲まれた部屋にする」という一文があった。片付いた部屋に、自分の好きな本を散りばめる。ちょっと腰かけたソファの前には、印象派の美術の図録。そんなことを考えるだけでワクワクした。
子供の頃から読書好きだった私は、ちょっとだけ周りよりも賢かった。卒業式には総代になって賞をもらい、周りの子より先に答えを見つけた。だから煙たがられもしたのだろう。中学に入ってからは、クラスでいじめにもあった。私は正しいことを言っているのに、なぜ嫌われるのかわからなかった。まだティーンエイジャーだったから、人にはさまざまな考え方があるということ自体、理解できなかった。
正しさは、私を一人にした。
高校に入ると、個性的な人として扱われた。構造が見えてしまう特性は、周りから見れば変わった人だったのだと思う。ただ、率先して答えを言うことは、もうやめていた。「なるようになる」というのが口癖だった。
時は進んで、50代になった今、世界が数学でできているわけではないと知った。答えは、たとえ数字であっても一つではない。幾多の読書を重ね、実社会でも経験を積み、いろんな人の長所と短所を見てきて、ようやくわかった。
人はそれぞれ、違う答えを持っている。
そこで、ニューヨーカーの本の持ち方の意味がわかった。彼らははじめから、同じ人など一人もいないと知っている。だから多様な考え方を部屋へ持ち込んで、まるで親友のように、好きな本を見えるところに置く。本はそれぞれ個性を持ち、長所を持ち、短所を持つ。そういう多様性のある世界観を、ニューヨークという都市で体得した人たちの、本との付き合い方なのだろうと理解した。
私は今、実用書以外は書店で紙の本を買い、読み終えたらリサイクルに回す。資格取得のための参考書は古本で買う。ミニマリズムも参考にして、厳選した本だけを手元に置き、必要なところだけ読む。それが、フランス人とニューヨーカーの折衷案だった。
私は今日も、本を選ぶ。
それは知識を買うためではなく、多様な世界観を部屋へ迎え入れるためなのだ。
そして私の本棚は、今では小さなニューヨークになった。