森の梢に佇む

考えすぎないための生活哲学

書く

実は先週、豪雨の影響というのも休んでいた理由の一つだが、寄る年波で夏の疲れが出ていた。もっと言えば資格試験勉強のしすぎで頭が固まったみたいになった。

もうテキストを開いても文字を見ても資格試験の用語は頭の中で意味をなさなくなった。目が文章を読むことを拒否していた。おとといから勉強に復帰したが、思えばそれまで猛スピードでテキストも問題集も進めていた。

休み中に「頭のいい人が習慣にしている学び方の戦略」(堀田秀吾・アスコム)という本を買って、科学的に効果があると実証されている学び方を取り入れて、よりよく勉強してみようと思った。

掲載の方法の6〜7割はやっていたことだったが、残りの中に勉強ログというのがあった。まずは始めやすいこれをやってみることにした。

結果、学習での何がわかったか、何がわからなかったか、次回やること、これを頭の中だけで保持しないで、書き出してしまうことで、頭で覚えておくことが少なくなり、頭が楽になり勉強が進んだ。勉強した後の疲労度が軽い。

「書く」ということはそもそも何なのか?という私のいつもの思考癖がそこで始まった。書くってなんだろう?

例の如く調べてみると、デジタルに打ち込むこととは違い、手書きで文字を書くということは、神経系の複数のネットワークを使い、思考が身体運動と結びついた状態で処理されるという。

要は脳の一部を使うのではじゃなくて、あちこちを使い、身体の感覚と結びついた状態で文字を書いている、ということになる。だからデジタルで打ち込むよりも、記憶には残るという。

ちなみにゲームの操作に慣れた脳というののMRI写真を見たことがあるが、脳のごく一部に血流が集まり、要領よく処理するという解説がついていた。書くとはまたちょっと違った処理なのだなと思う。まぁ、ゲームはデジタルで打ち込むこととは若干違うが。

また、勉強ログの効果は文字に落とすことで、頭の中でくるくる回しているビジュアルが外部装置に置き換えられるときに、後で読んでも再現性があるように書くため、思考の輪郭がはっきりする、という効果もあった。要は書くことで考えているのだ。

私は手帳については紙ベースが好きだが、この考えるプロセスが好きなんじゃないかな?と思う。書いた感触が手に残り、記憶にも残る。それにスケジュールは手帳に書いてスッキリするが、勉強に関しては雑に置いておいてメモしてなかったと合点した。それは頭で覚えておこうとするから疲れる。

勉強ログを書くことでちょっと勉強のペースはスローダウンするが、完全にダウンしてしまうよりはマシだし、1回の学習での効果が高いため、なんで今までやってなかったのだろう?とちょっと悔やまれた。

仕事では物事を整理するのに紙ベースで書き出して同僚と意識合わせしていたのに、勉強は散漫だったんだなぁ、と自分を大事にしていない自分を発見した次第。

紙に書き出すのは自分との意識合わせだったんだなぁ。